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2010年3月24日水曜日

宇田川清江、ラジオ深夜便を二十年掛けて卒業

いつも行く近所のコンビニの週刊誌など雑誌を並べてある書架の一冊に目が行った。

ラジオ深夜便読本
宇田川清江特集
ありがとう!深夜便20年

宇田川清江って、日曜日の深夜、枕元のラジオから、そっと語りかけてくるあの声の持ち主。一説には二百万人のリスナーが居ると言われるNHKの深夜番組 "ラジオ深夜便" のアンカーだ。
巻末から引用すると、1935年(昭和10年)東京生まれ。1957年にNHK入局。立体音楽堂、生活の知恵などのキャスターを担当する。1964年退局、フリーとなってTBS、テレビ朝日、FM東京などで活躍。1990年のラジオ深夜便の番組誕生と共にアンカーを務め、今月まで二十年間をこの番組と共に過ごした。

この本では、知られざるラジオ深夜便の舞台裏や、リスナーとの交流が生んだ感動のエピソード、俳人鷹羽狩行さん出演のラジオ歳時記から生まれた俳句を通して番組と共に歩んだ二十年を辿っている。

掲載内容は、
スタジオレポート★生放送6時間の舞台裏
忘れられない人々、忘れられないできごと 宇田川清江
アンカーエッセーセクション
メディアが注目した深夜便
宇田川清江語録で読む深夜便
宇田川清江の四苦八苦 ラジオ歳時記より

A5版168ページの体裁だが、
文字も大きめで、この歳のこの目には優しい。

裏表紙も巻頭のスタジオレポート★生放送6時間の舞台裏の6ページもカラーだが、何故か表紙の彼女だけはモノクロのまま。
もちろんカラーに出来ない訳ではないが、これもフィナーレを迎えようとする彼女なりの美学かも知れない。

あなたは、ラジオ深夜便のアイドルだとか?と、お世辞を言われれば、いいえ、私は深夜便のババドルです、と切り返す、常にリスナーとの交流も大切にしてきた。
今や、ラジオ深夜便は、シニア層を中心に人気も定着、眠れぬ夜の心の友となっている。
これからユックリと番組で聴いたこと、聴けなかったことも含めジックリと宇田川清江をレビューしてみる積もりだ。

最後の出番は三月二十一日だったが、失念していて番組途中から聴き始めた。

午前四時過ぎには、
こころの時代、ハリー・ポッターと歩んだわたしの道
誕生日の花は、バイモ 花言葉は 才能
きょうの一句は、書を置いて 開かずにあり 春炬燵

エンディングが迫って来て、
お別れに私から三好達治の詩を、
春の岬 旅のをはりの鴎どり 浮きつつ遠くなりにけるかも、と

そして、エンディングは、
「今日もおだやかにお過ごしください、
 ごきげんよろしゅう、
 さようなら、
 ごきげんよう」
一瞬の静寂があり、時計の針は限りなく午前五時に近く、ステーションブレークが入る直前、間合いを計っていたかの様に僅か数秒「失礼しました」っと、小声で挨拶したのが最後の言葉だった。

もお、宇田川清江の声は聴けない。
名残惜しいが、これで、また一人、綺麗な日本語を喋るアンカーがラジオ深夜便から卒業して行った。

番組明けのこの日、三月二十二日は、NHKの前身、東京中央放送局(JOAK)が、東京港区芝浦の仮放送所で開局した放送記念日(85周年)でもあり、何か運命めいたものを感じた。
フォーエバー、宇田川清江。

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