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2008年7月30日水曜日

クリスタルガラスの "スワロフスキー" から2GBのUSBメモリーが

若い女性に人気のブランド、クリスタルガラスを使った高級アクセサリーの "スワロフスキー" が、フィリップスとのコラボで、なんとUSBメモリーを発売すると発表しました。

 二種類あって、そのヒトツは、約4cmの丸いクリスタルをあしらった "MOON" 。ペンダントとしても着用可能なネックレス付きで、黒とシルバーの2種類があります。

メモリーとして使う時は、USBコネクターをスライドさせてパソコンなどに接続します。

もうヒトツは、ロボットがモチーフとしてあしらわれたメモリー。黒いモデルは "NAUGHTY RAYMOND" 、白は "HAPPY LAURA" と名付けられたキャラクターが、細かいクリスタルで描かれています。頭の部分をボディーから抜き取ってパソコンに差し込むタイプで、短いチェーンが付きアクセサリーとしても使えます。

いずれも2GB、前者が35,700円、後者は28,350円で九月発売とか・・・果たして、どんな使われ方をするのか?想像もできません。

2008年7月29日火曜日

日本標準時JJYを発信するNICT(元 電波研)の一般公開へ行ってきました

東京小金井市の情報通信研究機構(NICT)の施設一般公開があり行ってきました。日本標準時JJYを発信しているところで、郵政省電波研究所と呼んだ方が馴染みがある世代が多いかも知れません。

JR中央線の武蔵小金井駅下車、駅前からバスで十分ほどで情報通信研究機構前(NICT)に着きました。昔はJJYの電波研と呼ばれ、その後、通信総合研究所(CRL)と変わり、今は情報通信研究機構(NICT)となっています。

情報通信研究機構(NICT)の施設一般公開

このNICTの施設一般公開の主旨は、普段、見ることのできない NICT 研究施設の紹介 、NICT の研究活動や成果の紹介 、地域の方々との交流 、科学技術のおもしろさの体験、と発表されています。

普段は何をしているところか?一般の人には皆目わかっていない施設ですが、この時ばかりは、技術者と思われる人々に混じって、夏休みが始まったこともあり、母子の姿が多くみられました。

受付を済ませると、目の前のデモンストレーションは、毎年お馴染みの地球の自転を実感できるフーコーの振り子です。数十メートルの天井から吊り下げられた直径30cmほどの円盤型の重りが振幅にして1mほどでユックリと振れています。地球の自転により、この振り子の振動面が徐々に回ることで、地球が自転していることを観察できます。

NICTに課せられた使命のなかで、最も重要なものは、何と言っても日本標準時の元になる原子時計を維持管理していることです。今回は、日本標準時(JST)が生成される現場や、JSTと時刻比較する技術と周波数校正技術、JSTを供給するサービス(標準電波JJY、テレホンJJY、タイムビジネス用時刻配信、ntpサーバー)を紹介していました。

その他、超広帯域な周波数を使い、超低電力無線によるごく短距離の通信を目指す新しいsUWB無線技術の研究や未利用周波数帯であるミリ波の身近な利用を実現するためのミリ波トランジスタの研究。
光の波で信号を伝播させる技術として、高速通信を実現するための光制御技術、デバイス技術、光ファイバ通信の大容量化に対応するため新しい周波数資源を開拓する取り組みなどが、私にとって大変興味深いものがありました。

今回、あまり目立たない展示でしたが、「無線電信開業百周年」「鉱石検波器発明百周年」の展示コーナーがありました。今年は一般の人が無線電報を打てるようになってから百年目に当たり、当時の火花送信機とコヒーラ受信機を展示して実演していました。

また、鉱石ラジオで知られている鉱石検波器が発明されて百年たち、いろいろな鉱石で電波を受信する実験もありました。鉱石ラジオはかってのラジオ少年の登竜門でしたが、ここに展示されていたモノは歴史的にもっと凄いモノでした。

説明によると、現存する鉱石受信機としては日本最古と思われる逓信省式鉱石検波器受信機で、明治41年頃、日本の海岸局で使用されていたモノです。
心臓部の検波器は、鳥潟右一が発明(明治41年)した鉱石検波器2基と佐伯美津留が発明(明治42年)したX検波器2基が装着されています。無線電話は未だ実用になっていなかった当時、既に無線電信と無線電話の両用になっていた先駆的な鉱石検波器受信機です。

逓信省式鉱石検波器受信機

真空管式になる前の実用機で、鉱石検波器が四つも装備され、通信中に何らかの理由により鉱石検波器の機能が不安定あるいは機能しなくなって通信が途切れる事の無いように、この四つが切替器により他の鉱石検波器に切り替えられるようになっているそうです。

配布された資料によると、日本最初の海岸局は、銚子(呼出符号: JCS)が明治41年5月に開局、7月には、大瀬崎(JOS)、潮岬(JSM)、角島(JTS)、落石(JOC)が開局し、公衆無線電信局の業務を開始しました。また、船舶局も天洋丸(呼出符号: TTY)が明治41年5月に開局、その後、丹後丸(YTG)、伊予丸(YIY)、加賀丸(YKG)、安芸丸(YAK)、土佐丸(YTS)、信濃丸(YSN)、香港丸(THK)、日本丸(TNP)、地洋丸(TCY)が相継いで開局。

明治41年5月に横浜を出航し、房総半島の野島崎を回ってシアトルに向かう丹後丸(呼出符号: YTG)からの呼び出しに、海岸局の銚子(呼出符号: JCS)が応答し、丹後丸から東京の新聞社宛の無線電報が送信されました。これが、日本に於ける公衆無線電報の第一号になりました。明治41年(1908年)のことで、今からちょうで百年前の出来事になります。

ところで、鉱石検波器は誰が発明したか?殆どの人が答えに窮すると思います。
これが意外や意外で、日本では、明治41年(1908年)、当時逓信省の技師だった鳥潟右一が、紅亜鉛鉱、輝水鉛鉱、マンガン鉱による鉱石検波器を発明し特許を取得しています。
また、アメリカでは1906年にピカール(or ピカード)がシリコン(鉱石)検波器を発明したとあります。その他、インドの物理学者ボースが1904年に方鉛鉱(鉱石)検波器により特許を取得ともあります。

もっと遡って調べると、なんと、1874年、ドイツの物理学者のブラウンによって金属硫化物に金属針を接触させると整流作用が生じる事が発見されています。
余談ですが、ブラウンってテレビジョンのブラウン管やオシロスコープのブラウン管の原理を発明した人で、これには私も少々驚きを隠せません。

いずれにしても、鉱石検波器は1900年代に入り無線通信に必須のモノとして研究が進められ、各人各様の方式での発明がなされ、どれを以て最初の発明者とするのか、未だにハッキリしていないようです。

2008年7月27日日曜日

WILLCOMが長期利用者にオリジナル・ストラップをゼンプレ

WILLCOMから珍しく封書が届いていて、開封してみるとWILLCOMのPHS長期(十年以上)利用者にオリジナル・ストラップを全員にプレゼントするとの案内でした。たしか、開業十周年の時にも十年間の利用者にオリジナル・ストラップがプレゼントされ、それ以来のプレゼントだと思います。


前回は金属製のプレートが付いたストラップでしたが、今回はレザー風?のwhite、black、pink、blueの四色からのチョイスになりますが、シリアルナンバー入りでプレゼントされるそうです。ただし、シリアルナンバーが何を意味するのか?価値があるのか?は不明ですが・・・

私はWILLCOMの前々身のDDIポケット開業当時からの利用者で、十周年記念のストラップも貰いましたが、有り難いと思うほどの気持ちもありませんでした。

今さら思うに、開業当時のPHSの通話料金は三分四十円、それが十三年経った今でも変わっていません。その間、携帯は通話通信料金の値下げが頻繁に行われた事を考えると、今は一社独占で、携帯と距離を保ちつつ、独自の料金体系で利用者の囲い込みに懸命のようです。

私の場合は、殆ど受信専用の様な利用形態ですから、長期割引、年間割引などもあり、毎月の利用料金は二千円以下で済んでいます。"070" で始まる電話番号には掛け放題と言われても、私の電話帳に "070" は一件も見当たりません。また、iモードの様な便利に使える利用形態が無くて魅力に欠けるインフラとも言えます。

永年のマックユーザーでもあり、そろそろ、時流に乗って、話題のiPhoneに乗り換える気持ちにもなっています。そんなこんなで、前々から足繁く通っている店へ遅まきながら(冗談半分で)予約の電話をしました。それにしても意外だったのは、世間が騒ぐほど入手は難しくないようで、こちらの心の準備が出来ないうちにモノが来てしまうかもしれません。それで逆に永年付き合って来たこのPHSの処遇をどの様にするか?正に青天の霹靂になるのかも?・・・



コメント(アーカイブ)

たまたまWillcom限定ストラップの画像がほしくて検索をかけたらこちらにたどり着きました。あまりに同じような境遇だったので足跡を残しておきます。わたしもストラップをもらえるくらいのWillcomユーザーだったのですが、iPhoneの登場によりキャリアを変更しました。最後の端末はAdvanced esでした。Willcomは今でも嫌いではありませんでしたが、長年使っているユーザーに対してもう少しメリットを感じさせる気配りがほしかったです。それがあればWillcom Coreが始まるまで凍結という形で残しておいてもよかったのですが、コールセンターとの会話では残ってほしいという形式だけでの呼び止めも提案もなく、ドライに解約にいたりました。逆にソフトバンクは思っていたほど悪くなく、意外なことに満足しています。

Posted by  sakura at 2009.6.14 16:11:09
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私はDDIポケット開業時からのPHSユーザーで、新製品が出るたびに機種変更を繰り返しました。W-ZERO3が発売された時には、これが長らく自分が探し求めていたモノ?と思い込み、直ぐに買い換えました。しかし、画面が大きい割に非力で、その後、細身にモデルチェンジされたモノに機種変更しました。しかし、その画面サイズでは、ネットサーフィンなど出来るはずもなく、使えないWillcomでした。そんな嫌気が差している時に発表された "iPhone G3" 、これは、正に渡りに船の心境でした。
Posted by  BlueMac at 2009.6.14 22:21:17
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2008年7月26日土曜日

目の前に迫りくるジンベエサメやマンタ、小魚の群れに囲まれてしまう迫力

西銀座へ行った折りに、テレビで報じられた「銀座の街に巨大水槽が出現」が気がかりで、ソニーのショールームへ立ち寄ることにしました。その「ソニーアクアリウム」はかなり大きくて、数寄屋橋交番前から見えました。

沖縄のサンゴ礁の魚が泳ぐソニーアクアリウム

ソニービルのエントランスの横に設置された、沖縄のサンゴ礁の魚が泳ぐ水槽(ソニーアクアリウム)は、資料によると、全幅5メートル総水量14トンの巨大水槽で、48種類、約700匹が泳ぎ回りまっているそうです。

今年はサメやウツボ、ナポレオンフィッシュなど沖縄の海ならではの多種多様な魚たちでいっぱい、沖縄の美ら海を再現したとか・・・珍しさもあってか、外人観光客や親子連れが次々と訪れ、ガラス越しに中をのぞき込みカメラを向けていました。

ここでは、夏休みのイベントとして「ハイビジョン沖縄美ら海水族館 」を実施しています。今年は「ソニービルで会える、ここだけの海」をテーマに本物の水槽やハイビジョン映像で沖縄の海(美ら海)の生態系を再現しています。

エントランスホールでは、自分だけのウミガメをつくろう!「バーチャルウミガメ水族館」。クイズでウミガメの生態を学び、自分でデザインしたウミガメをバーチャル水族館の中に放流。デザインしたカメが5日後に成長して、自宅などのパソコンから泳ぐ姿を確認できるそうです。
また、ソニーの製品で再現された「美ら海」の世界を探検しよう!「ハイビジョン アクアラボ」では、魚の生態や習慣を学習できる行動展示を大画面の液晶テレビやブルーレイディスクレコーダーなどで立体的に再現しています。

八階のコミュニケーションゾーンOPUS(オーパス)では、水槽の内側から収録した迫力の3D映像「3Dソニーアクアリウム」です。深海の海をイメージした青い空間の先にはコミュニケーションゾーンOPUS(オーパス)の200インチ "ブルーオーシャン" スクリーンがあります。

3Dソニーアクアリウム

大迫力のスクリーンでは、沖縄美ら海水族館の大水槽「黒潮の海」のジンベエサメやマンタをはじめ沖縄の海に生息する魚たちを、水中撮影した映像などを、200 インチのスクリーンで立体(3D)ハイビジョン映像でリアルに再現しています。

目の前に迫りくるジンベエサメやマンタそして小魚の群れに囲まれてしまう迫力の立体映像は圧巻です。バーチャルの世界とは言え、現実にも思えるこの3D映像「3Dソニーアクアリウム」には感動しました。

2008年7月24日木曜日

アナログ地上波は、なぜ 2011年7月24日に終了するのか?

アナログ地上波の放送が終了するのは2011年7月24日とされ、順次、地上デジタル放送が開始されテレビの買い換えも進みつつあるようです。

今日(24日)は正に三年前のその日にあたり、NHKでは、アナログ地上波の総合チャンネルと教育チャンネルの画面の右上隅に<b>アナログ</b>とロゴマークを出す様になりました。

これにより視聴者へ注意喚起を行なうと同時に「現在アナログ放送を視ていますか? 「アナログ」というマークが表示されていれば、それはアナログ放送です」とアナログ放送を受信していることを印象付ける事にしているようです。

しかし「何で2011年7月24日なのか?」と多くの人が疑問に思っていると思います。月末の31日の方が切りが良くて、しかも、周知徹底がやり易いのでは・・・

調べてみると、それは、7年前の2001年7月25日に電波法が改正され、アナログ地上波について「10年を越えない範囲で期限を定めて使用すること」が盛り込まれた事によるようです。

つまり、この「2001年7月25日」からちょうど10年経った日が「2011年7月24日」になると言うことなんです。

2008年7月23日水曜日

世界5局の標準電波に対応したデジタルウォッチが思い起こさせるモノ・・・

少々訳ありで電波時計をプレゼントされました。

今の自分は一分一秒に追われる様な生活ではないので、必需品では無いと言うと嘘になりますが、出掛ける時にはやはり腕に付けて出ます。

今春、発売になった世界5局の標準電波に対応した電波受信機能と蛍光灯のわずかな光でも駆動する充電システムを搭載した角型フォルムの "G-SHOCK" 。

何でも二十五年前の初代モデルの文字板レイアウトに加えて、文字や縁取りなどカラーリングも継承したアニバーサリー・モデルだそうです。

"G-SHOCK" って最新のテクノロジーが凝縮されたタフな腕時計としての認識はありますが、これまで特に自分用として考えた事はありませんでした。

今まで腕にしたヤツを思い起こしてみると、学生時代に何個を取っ替え引っ替え使いましたが、どれもオヤジのお古だった様に思います。当時は、腕時計もそんなに安いモノでなく、極論すればカメラ同様に財産の一部だったのかもしれません。

就職するので、初めてORIENTの二針で小さな秒針が付いた腕時計を五千円くらいで買った様に思います。

しかし、本当は秒針も同軸になっている、いわゆる三針が欲しかったのですが高くて買えなかった・・・当時の学卒者の初任給は二万円足らずでした。

1970年頃、突然、海外出張を仰せつかり、何しろ初めての事でもあり色々と身支度を整えた。その時に奮発して三針の "SEIKO LORD MATIC" を二万円くらいで入手しました。念願のモデルで八年ほど使用しました。

1970年代も後半になるとデジタルウォッチも安価になってきて、アナログ時計はドンドン姿を消していきました。ちょうどその頃に、液晶で世界地図が表示され世界の主要都市の時刻にワンタッチで切り替えられる "WORLD DIGITAL WATCH" がSEIKOから発売になり、飛びつく様にして買いました。

スタンダードのデジタルウォッチは一万円台で買えたのに、これは破格の四万五千円もしました。
これはとても気に入っていてその後、海外出張もそこそこあり、電池交換をしながら二十年ほどでしたが、たいへん重宝しました。

しかし、さすが液晶の製法技術がふた昔も前のモノで、表示部の劣化が進み実用に耐えるギリギリまで来た様に思われリタイアさせました。

これに代えて、買ったのがSEIKOの逆輸入時計。三針はもちろん、小さな二針時計と60秒時計、30分時計が付いているいま風の時計です。

デザインも機能も満足していますが、唯一、アナログ時計の宿命か?大の月と小の月の判別が出来なくて、二ヶ月に一度、月初めに日付の小窓の数字を見ながら"31" から "1" に送ってやる必要があり面倒と言えば面倒です。当然、クオーツですから、時報に合わせる必要もなく、合っていて当たり前の精度で不自由はありません。

それが、ある日突然の様な "G-SHOCK" の登場で、時刻合わせも電池の交換もフリーになり、これから先、何時まで時を刻み続けるのか?私の人生との競争になるのかも知れません・・・

 
余談ですが、
日本の標準時間は、40kHzの標準電波が国内二カ所から送信されていて、それを電波時計で受信して時刻を較正する仕組みになっています。

その電波の大元を管理しているのが、東京都小金井市にある情報通信研究機構(NICT)です。

たまたま今週末に研究施設の一般公開があります。情報通信研究機構って馴染みがありませんが、私達の年代の人には電波研究所と言った方がわかりが良いかも知れません。

昔は、5MHz/10MHz/15MHzの標準電波(JJY)を24時間出していて、周波数の基準と時刻の基準として利用した方も多いと思います。

時刻について、改めて勉強したい人は是非行かれる事をお奨めします。

2008年7月21日月曜日

セミクジラの頭骨は体長の三割を占める頭でっかち

明治天皇が明治丸で奥州御巡業から横浜港に帰着された7月20日に因んで、昭和16年に海の記念日が制定され、平成8年から国民の祝日「海の日」になりました。それで、全国でこの日に因んだ催しものがあるようですが、私は近くの東京海洋大学(旧東京水産大学)品川キャンパスの一般公開へ出掛けました。

セミクジラの全身骨格標本 (尾ビレの方から撮影)

我が家から直線で2キロ足らずですが、途中、国道1号線(旧東海道)を横切り、東海道新幹線や東海道本線、山手線、京浜東北線の線路の下をくぐる小さな地下道を通り、自転車で二十分ほどで着きました。学内の研究室や実験室では、色々なテーマでの研究成果の実演展示が行われていましたが、私のお目当ては、クジラの全身骨格標本でした。

正門を入ってそれほど歩くことなく水産資料館の前に出ました。
水産資料館には "鯨ギャラリー" として、世界最大級のセミクジラの全身骨格標本が展示されていました。
その場で貰った資料によると、体長17.1メートル、体重67.2トン、1961年8月にアラスカ半島コディアック島南方60海里沖で発見された大型の雄で、頭骨の全長は5.1メートル(体長の30%)の頭でっかち。
頭骨から後ろへ、頸椎骨、胸椎骨、腰椎骨、尾椎骨と大型の恐竜骨格と似た様な列びになっていて興味深かったです。

セミクジラの全身骨格標本 (頭部の方から撮影)


しかし、クジラの泳ぐ姿で特に印象的な、あの海面を叩きつける様な大きな尾びれには骨格が無いと説明されました。改めて骨格標本を見直すと尾椎骨も一番先端でプッツンと終わっていて、そこに尾びれを支える骨が無く、身体構造の不思議を再認識しました。

この水産資料館の内部は海中に見立てて?ブルー一色、このクジラを保存する為に造られたのか?骨格標本がギリギリに収まる大きさで、全身骨格をワンショットで撮ることは出来ませんでした。それにしてもデカ過ぎ、ほ乳類として進化しているクジラの骨格が、大地を歩くほ乳類と如何に異なっているのかを実感した今日の見学でした。

2008年7月19日土曜日

「956/962」の大きな文字に目敏く反応してしまった・・・

これは既に旧聞なんですが、神田神保町へ行った折り、靖国通りを駿河台下交差点の方へ歩きつつ、某パソコン誌が気になり途中で書泉グランデへ入りました。
靖国通りが眼下に見えるスケルトン仕様のエレベータで上階へ・・・

目当ての本は明日の発売とかで、そそくさと上の階へ上がりました。船や飛行機、列車、乗用車など乗り物関係の書籍がズラリと列んでいて圧巻です。

最近は細かな字を読むのが辛くて、必要に迫られて買うパソコン雑誌以外は殆どがパラパラとその場の立ち読みで済ませています。

フラリと行ったこの乗り物関係のフロアを一周しするうち、乗用車のところの棚に「956/962」の大きな文字が目立つ本が目に止まりました。

近づいてみると、何とこの本の表紙は左上に小さく書名が読み取れる他はほとんど全て横文字で、どこの出版社の本とも分からずに手に取りました。

ミニチュアモデルの本ですが、たまたま、この号の特集がポルシェ「956」と「962」だったようです。私はいわゆるカーマニアではなく、また、自分で運転もしないので、平素からクルマは縁遠い存在です。

それが何故にこの本を手にしたか・・・
唯一「956/962」の文字に反応したからです。

これがポルシェのレーシングカーとして、フランスのル・マンで開催される "ル・マン24時間" で常勝のクルマとして、この私にも記憶に残る名車だと認識しているからです。"ル・マン24時間" は文字通り24時間走りっぱなしでの順位を争うレースで、毎年六月の初めから中頃、最も昼の長い時期に開催されています。

ル・マンは、フォーミュラ1のモナコグランプリとアメリカのインディ500と並び "世界三大レース" と呼ばれ、またデイトナ24時間レース、スパ・フランコルシャン24時間レースとともに "世界三大耐久レース" とも呼ばれ、日本でもクルマ好きならずとも有名な大レースです。

バブルの時期、1980年代初めから十年ほどは、フランス中部にあるル・マン市の「サルト・サーキット」と呼ばれる全長13kmを超える周回コースを疾走する多くのクルマに、日本企業のロゴマークが見られるほどの人気がありました。

かって私が在職した会社もそのヒトツ。
バブル時期の十年ほどですが、会社のブランド・ロゴをフロント、リア、両サイド、トップの五カ所に付け、このサルト・サーキットを猛スピードで周回しているのを、自宅のテレビで観戦していました。

この本にも、同じサーキットで競り合ったカラーリングのポルシェが掲載され、それを見るに付け往時を懐かしく思い出しました。

"ル・マン24時間" にエントリーしたポルシェをミニチュア化した「956」と「962」の写真集?ですが、なかなか精緻な造りで遠目には実写と見紛うほどのフォルム。行く行くは思い出に残るカラーリングのポルシェを手許に残したいと今は思案中です。

2008年7月17日木曜日

琢郎の歌の魅力、果たしてきた役割をエッセイとインタビューで

駅前に出たついでに前々から気にしている本があり書店へ立ち寄ってみました。
パソコン雑誌のコーナーから音楽雑誌のコーナーへ移動すると、直ぐに「吉田拓郎読本」が平積みになっているのが見えました。

出る出ると春頃から噂?され、その都度ですが、発売日は延び延びになっていました。CDジャーナル ムックで、どうやら昨日?店頭に置かれたようです。

吉田拓郎を知ったのは、独身時代の最後の頃で、彼のファン(支持者?)の多くは私より若い、いわゆる団塊の世代以降の若者達であったはず?そんな意味に於いて、私は奥手だったと今にして思います。

買ったばかりで、まだ、パラパラとページをめくった程度ですが、まず冒頭では、
1970年にレコードデビューを果たしてから、38年。吉田拓郎の活動はまさしく「大いなる歩み」というしかない足跡を音楽シーンに残してきた。
ライブでもレコードでも、あるいはラジオをはじめとするメディアでも、彼の存在を抜きにして日本のポップスを語ることはできない、と、彼のスケールの大きさを称えています。

1972年、CBSソニーに移籍し、あの "結婚しようよ" が大ヒットになると、それまでのファンからは大ブーイング、「帰れ!、帰れ!」コールの洗礼を浴びもした。しかし、それにもめげず更に成長し、1975年、今となっては伝説的なあの "つま恋" を成功させ、ファンの心をガッチリと掴んでしまった。

この当時の私は "FM東京" のエアーチェック用にカセットデッキを二台も買い込み、FM fanや週間FM、FMレコパルなどで「フォーク」や「拓郎」の文字を探し、毎日毎日が留守録に明け暮れた時代でした。その録音済みのカセットテープの幾つかが手許に残り、まさに強者どもが夢の跡、今にして思えばよくやったと自画自賛ですが・・・
1970年代から、日本のフォーク・シーンを代表する存在として今も活躍し続ける吉田拓郎ですが、今日までに彼の果たしてきた役割、そして真髄である歌の魅力を彼とご縁の深い人物のインタビューやエッセイ、全曲解説、代表作の楽譜などを通して彼自身をクローズアップしています。

私のマッキントッシュにあるiTunesのライブラリーでは、オフコースやチューリップ、かぐや姫も多いけど、やっぱり "吉田拓郎" の楽曲が一番多いかな? これから "伽草子" の "暑中見舞い" なんか聴きながら、この「吉田拓郎読本」をジックリと読んでみようかと思っています。

主な内容は、
インタビュー
伊藤明夫/加川 良/山本コータロー/田家秀樹
エッセイ
大越正実/かなざわいっせい/田家秀樹
コラム
鈴木勝生/和田彰二/杉山達/古矢 徹
ディスク・ガイド
スタジオ録音全アルバムに加え、ライヴの傑作を紹介
代表作の楽譜を収録
「マーク?」「こうき心」「夏休み」「春だったね」「たどりついたらいつも雨降り」「リンゴ」「伽草子」「落陽」「外は白い雪の夜」「唇をかみしめて」
巻頭カラー
吉田拓郎 ある日、ある時
吉田拓郎の詩
「イメージの詩」「今日までそして明日から」「おやじの唄」「人生を語らず」「流星」「大阪行きは何番ホーム

2008年7月16日水曜日

日本国道路元標は橋の真ん中にあり目立たない存在ですが、

所用があり中央区日本橋まで出掛けました。
銀座や有楽町まではしばしば出掛ける用事もありますが日本橋は久しぶりでした。

日本橋
三越本店のエントランスの両脇に鎮座する大きなブロンズ製のライオンは手入れが良いのか?錆びも無さそうに見え、その前足は来店者がタッチするためピカピカでした。

この三越の直ぐ南側を流れる日本橋川に掛かるのが日本橋です。

上空には首都高が横切っていますが、現在の橋は1911年に架けられ、石造二連アーチ橋として国の重要文化財に指定されています。

この日本橋は、1603年に徳川家康の命により架けられ、東海道・中山道・日光街道などの起点とされました。

日本国道路原標(レプリカ)
現在でも、それは変わらず、ここを起点して道路のキロ数が表示されています。

国道1号や4号、6号沿いにある、日本橋まで○○kmという表示は、そこからこの日本橋の中央にある日本国道路原標までの距離で、橋のたもとにはレプリカがあり、その大きさ形を知る事もできます。

基準点となる日本国道路原標は橋の中央部分に埋め込まれていて、両側の歩道からは「多分あれだ」っと思われるくらい小さな存在です。
しかし、国道の起点として、その存在の大きさは計り知れないモノがありますが、地中にシッカリと埋め込まれたモノでなく、橋の上にあり、何とも頼りなさそうな存在にも思えます。

2008年7月14日月曜日

"JET STREAM" の全面広告に往時を懐かしく思い出しました。

日曜日の朝刊の最終ページは何と "JET STREAM" のCDの通販広告、それもフルカラー1ページものでした。この「ジェットストリーム」は、1967年(昭和42年)、当時は東海大学のFM実用化試験局だった "FM東海" から放送されたFM音楽番組です。

ジェットストリームの放送が開始された頃の "FM東海" が実用化試験局であったことからも分かる様に、日本国内でのFMの本放送はだいぶ先の事で、東京都内で受信出来たのは、同じ実用化試験局のNHK FM(東京)とこの "FM東海" だけでした。

当時、FM受信機を持っている人はごく僅か、自作の人も居たくらいで、ましてや、電波の届く距離も短く、東京の隣接県では高利得のアンテナがないとFM放送の受信は出来ませんでした。


このジェットストリームは、1970年(昭和45年)4月から "FM東海" を引き継いで開局した民放 "FM東京" にバトンタッチされて放送を続け、2004年11月25日に放送1万回、昨年7月3日に放送40周年を迎えた正にFMの長寿番組です。

スポンサーは、ご存じの方も居られると思いますが、放送開始当時からJAL(日本航空)一社による提供番組で、演出面などにおいても、JALと深い関わりを持つ番組です。

放送は毎週、月曜日から金曜日深夜0時から1時までの放送で、世界各地の風物をセンス良く語り、次第次第にリスナー自身がその世界へ引き込まれて行く思いでした。

特に、オープニングの "ミスター・ロンリー"(Franck Pourcel Grand Orchestra)とエンディング の "夜間飛行" (Raymond Lefèvrel Grand Orchestra)は、いつまでもリスナーの心に残るモノであり続けると思います。

初代ナレータ(機長)は、プラチナの低音の持ち主と言われた城 達也さん。イージーリスニングに相応しい緩やかなストリングスメロディーをバックに、世界各地の街角をロマンチックなナレーションで紹介する深夜の一時間。夢の世界へ誘うようなその声で、多くのリスナーを魅了しました。FM番組としては異例、27年間のナレーションを務め1995年に惜しくも他界されました。

二代目は城さんの路線をおおむね踏襲した同じ事務所の後輩 小野田英一さん、三代目は森田真奈美さんですが、番組の企画から構成までスッカリ変わり全く別番組の様で不評?でした。
そして四代目、現在の機長(ナレータ)は俳優の伊武雅刀さん。城さんの語りにも似た安らぎのあるナレーションと選曲でロマン飛行を続けていて、FM放送の最長番組として現在も記録を更新しています。

私は "FM東海" 時代からのジェットストリームのリスナーです。
その後、本放送が始まった "FM東京" 時代からはエアーチェックしたジェットストリームのカセットテープの幾つかを保存していますが、いま専ら聴くのは、十年ほど前に "TUTAYA"でレンタルしたCD(複数)をダビングしたCD-Rからです。
しかし、それも最近はiTunesに取り込んで聴くとはなしに聴くスタイルに変わりました。

"ミスター・ロンリー" を聴くたびに思うことは、城 達也あってのジェットストリームであり、ジェットストリームは城 達也なしには語れない不即不離のものとして、永久にリスナーの心に残る名パーソナリティーでしょう。



オープニング・ナレーション

遠い地平線が消えて
深々とした夜の闇に心を休める時
遥か雲海の上を音もなく流れ去る気流は
たゆみない宇宙の営みを告げています
満点の星をいただく果てしない光の海を
豊かに流れゆく風に心を開けば
煌く星座の物語も聞こえてくる
夜の静寂のなんと饒舌なことでしょうか
光と影の境に消えていったはるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります
これからのひと時
日本航空があなたにお送りする
音楽の定期便 ジェットストリーム
皆様の夜間飛行のお供を致しますパイロットは
わたくし城達也です

エンディング・ナレーション

夜間飛行の
ジェット機の翼に点滅するランプは
遠ざかるにつれ次第に星のまたたきと
区別がつかなくなります
お送りしておりますこの音楽が
美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように
日本航空がお送りした音楽の定期便 ジェットストリーム
夜間飛行のお供をいたしましたパイロットは
わたくし城達也でした

2008年7月12日土曜日

7月11日は "iPhone"も WILLCOM D4 も新発売、アドビの "Creative Suite" も・・・

7月11日は、秋葉原でもアップル/ソフトバンクの "iPhone 3G" の新発売とウイルコムの "Ultra Mobile WILLCOM D4" の新発売で何時になく携帯売場は賑わっていた様です。

Adobe Creative Suite
そんななか、ヨドバシAkiba館へ立ち寄りました。
ソフトウェアの売場で、アドビの製品が積まれているコーナーへ行ったところ、やはりこの日から発売のアドビの製品に関して、「7月11日に店頭発売予定の製品パッケージに、アップグレード対象製品等の誤表記があることが判明したため、発売日が延期となっております」と、大きなポスターが吊り下げられていました。

たくさんの種類があるアドビ製品ですが、たぶん、これも7月11日新発売になる予定だった "Adobe Creative Suite 日本語版、アップグレード版" のことのようです。

それにしても製品パッケージの誤表記らしく、ワザワザ買いに来た人が何人も居て「それでも良いから売ってくれ・・」と言っていたようですが、店側は「申し訳ありませんがダメです・・」の連発でした。アドビらしくないミスで、アドビユーザは出鼻を挫かれた?思いでした。

2008年7月10日木曜日

久々にクラムシェルの iBook G3のSEバージョンが・・・

久々ですがクラムシェル型の iBook G3の美品にお目に掛かりました。秋葉原のJR総武線ガード下、ポケットプラスワン店の二階にあるラオックスのマック売場にそれはありました。

窓辺に近いショーケースにMacBook ProやPowerBook G4、iBook G4と一緒に列んでいて、カラフルでユニークなフォルムが人目を引いていました。

クラムシェルの iBook G3が登場してから相当の年月が過ぎていて、今では中古でも殆ど見掛ける事はありません。
今回のモデルはたしか2000年9月の発売で、クラムシェルの iBook G3の最終モデルだと思います。カラーはグラファイトで美品、Mac OS9で起動、CPUは466メガのSEバージョンで、DVDの再生も出来るようです。

同時に発売になったカラバリのキーライムは、その色鮮やかさに人気があり中古の美品は四万円台後半ですが、これはキーライムより二万円ほど安く、色に拘らなければ、もはやコレクターズアイテムかも知れません。

2008年7月9日水曜日

ウィルコムの "WILLCOM D4" は、デカッ・・・

駅前の携帯電話の販売店で、噂のiPhoneと同じ11日に新発売になるウィルコムのPHS端末 "WILLCOM D4" を見てきました。これまでのW-ZERO3の集大成の様なコンセプトですが、ハッキリ言って "モバイルPC" に電話機能が付いた様なモノです。同日付けで新発売になるとは言え、両者が競合するようなモノでなく? 手に取った第一印象は "デカッ・・" のひと言。


そのサイズは188(W)×84(D)×25.9 mm(H)、重量は470gで、想像していたより大きめでした。

主な仕様は、Intel AtomプロセッサZ520(1.33GHz)とWindows Vista、5型液晶ディスプレイ、40GB HDD、1GBのRAM、QWERTYキーボード、ワンセグチューナーやCMOSカメラ、microSDカードスロットなどを搭載。

しかも、プリインストールで、Office Personal 2007とOffice PowerPoint 2007が付属するって言うから、これだけ揃えば正真正銘の "モバイルPC" です。

しかも、本体にはマイクが無くて、そのままでは通話は不可。それで電話する時には、まず別にマイクを用意し、次にWindowsにログインする操作が必要で、手軽に電話が掛けられる訳ではなさそうです。

それ故、"携帯電話" としては扱いが面倒で、"モバイルPC" としては、何だか価格が高すぎる様にも思えてきました。いっそのこと、電話は二の次、Office Personal 2007とOffice PowerPoint 2007も要らないから、これとは別の廉価版 "モバイルPC" として、シャープが自ら売って欲しいものだと思いました。

2008年7月8日火曜日

Mac OS9で動作する無線LAN Cardがプライスダウン・・・

WaveLAN
Mac OS9で動作する無線LAN Cardでは、Enterasysの無線LAN Card(Roam About)が良く知られていましたが、流石に最近は秋葉原でも見なくなりました。

このEnterasys LAN Card [CSIBD-AJ]と全く同じ形状?のモノで、「WaveLAN」と言う名称のモノを希にみかけます。

発売元の名称でしょうか? "NCR"と"Lucent" の二種類があるのを確認していますが、恐らく中身は同じモノではないかと推測しています。

秋葉原のラオックスのマック中古売場には "Lucent" モノが10,800円で、だいぶ前から置いてありましたが、つい最近になって3,980円にプライスダウンしました。

Mac OS9がインストールされたPowerBook G4では専用ドライバなしに動作するとか・・・PowerBook G3ではMac OS8.6用のドライバをWebで探してインストールすると動作するようですが未確認です。そろそろMac OS9対象商品の整理が進んでいる様に見受けられます。

2008年7月6日日曜日

東日本では最大級と言われる大梵鐘がある増上寺では

用事があり外出の帰り道、東京タワーに近い、芝の増上寺の前で午後五時になろうとしていました。この増上寺の境内には鐘楼があり東日本では最大級と言われる大梵鐘が吊られています。

毎日撞かれていますが、丁度、暮れ六つの時刻でした。三門を入ると右手に鐘楼があります。
五時ピッタリに寺の男が体ごと後ろへ仰け反る様にして引き綱を強く引き、思い切り撞木を前へ突き出しました。

東日本では最大級と言われる大梵鐘

大梵鐘であり、近くでは全身に響くほどの轟音に圧倒されます。
唸りを伴う余韻が暫く続き、その静まりを待ってか?また、同じ動作の繰り返し、六つが鳴り終わると鐘楼の周りに居合わせた人々がほっと一息付く思いで本殿の方へ歩き始めました。

改修工事中の大殿と七夕の飾り付け

鐘楼前にある案内板によると、

大梵鐘
延宝元年(1673年)品川御殿山で椎名伊予守のよって鋳造されたもので、高さ一丈(約3m)、重さ四千貫(約15t)の大梵鐘。時の将軍家綱(四代)の命により、奥方のかんざいなど多くの寄附を集めて江戸で初めて造られた鐘である。

今鳴るは 芝か上野か 浅草か
江戸七分 ほどは聞える 芝の鐘

この大梵鐘は、木更津まで響いたといわれ、江戸庶民に親しまれ、多くの川柳を生んでいる。

とありました。"芝"は増上寺、"上野"は寛永寺、"浅草"は浅草寺を指していて、当時の江戸の時の鐘(時報)であったようです。この頃、増上寺の三門の前に江戸城へ向かう道があり、その向こう側には海辺があり、東京湾の向こう側、千葉県木更津まで鐘の音は伝わったかもしれません。
この増上寺の大殿は、いま改修工事中でブルーのシートで被われ異様な光景です。今年も七夕の飾り付けが行われる境内では、それぞれの願いを込めた色とりどりの短冊を、横倒しにされた笹に括り付ける親子連れの姿が見られ、明日には静かな七夕の夜を迎える事になるでしょう。