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2006年7月27日木曜日

二十年以上も前のNECのパソコンって その1

実家の押入からNECのパソコンPC-8001mk2の段ボール箱が出てきました。「良く残っていた」っと、懐かしげに持ち上げてみました。買ったのは、たしか1983年だったと記憶しています。

NEC PC-8001mk2と上に載っている小箱がカラーアダプターPC-8044K
それ以前の1979年の秋にNECから初めて「パーソナルコンピュータ」と名乗ったPC-8001が発売されていました。価格は168,000円。CPUはZ80互換のμPD780が使われ、ROM32K、RAM16Kという(当時では)大容量、それにプログラミング言語N-BASICを装備していて、シャープのMZ-80Kと人気を二分していました。

価格もさることながら、「パーソナルコンピュータ」って、何かもの凄いことが出来そうな機械だが、どの様に使いこなすかのか、今で言うソフトウエア的なことがアマチュアまで普及する以前の時代で、遠くから眺めているのが精一杯でした。

PC-8001の登場から四年後、メインメモリ64K + VRAM16K、フロッピーIF、拡張スロット内蔵など、機能を強化し、しかも価格を128,000円に下げたPC-8001mk2が発売されました。

この頃になると、いわゆるパソコン(マイコンとも呼んだ)雑誌が、多くの出版社から発行され、アマチュアでも何とか使いこなせそうな時代になってきました。また、NEC以外でもこのパソコンを商品化する大手企業も出てきて普及に弾みが付いた時期でした。

そこで、意を決して秋葉原の石丸電気へ行き注文しました。
市場には各社のパソコンが出揃っていましたが、NECのPC-8001mk2がダントツの指名買いで、予約しないとその場での持ち帰りが出来ないほどでした。それでも何とかゲット、しかし、カラーモニターなどは買えませんでした。純正モニターはパソコン本体より高く二十五万円くらいしたと思います。

モニターが無ければパソコンはタダの箱、しかし、無銭家?の為にNECは特別のインターフェースを用意してくれていました。それが、モニター出力をテレビの2チャンネルの電波に変換してくれるアダプターです。つまり家庭にあるテレビをそのままモニター代わりに使える訳です。
当然解像度は良くありませんが、少ない投資でそこそこの画質、多くのアマチュアはそれでも満足していました。もっとも、キャラクターベースで横80字20行での表示ですから何とかなっていたのかも知れません。

パソコン雑誌に掲載の実用プログラムやゲームなどのプログラムを、N-BASICの文法に従って一行一行キーボードで打ち込んだりして遊んでいました。タイトーのインベータゲームの移植版なども、意味不明の文字列(マシン語)を延々と何日も掛けて根気よく打ち込み、RUNした時にゲーセンさながらの画面と効果音・・・これが8ビット機か?と疑うほど超高速で動くインベーダーに驚くやら感激するやら、今は昔、ほんの二十年前の出来事でした。

ただ、この段ボール箱には別の物が入っていて本体は他の場所に保管してあるはず、いずれ私のお宝(ガラクタ)PC-8001mk2を発掘してみたいと思っています。

2006年7月25日火曜日

薄暮の秋葉原を駆け足で回ってきました その2

アマチュア無線店のロケットを出て少し駅方向へ戻り、KFC(ケンタッキーフライドチキン)秋葉原店を右に見て左折するとアキバで一番混雑している路地へ出ます。

アマチュア無線店のロケット
最近話題のアキバ系と呼ばれる若者の姿は無く、いわゆる元ラジオ少年やパソコンオタクの聖域でしょうか?何しろここはいつ行ってもゴミゴミしています。

元ラジオ少年やパソコンオタクの聖域
アキバでは老舗のTSUKUMOや廣瀬無線そしてラオックス「The Mac Store」などの前を過ぎ、この道を通り抜けるとドスパラがあります。以前は別のPCパーツの店でしたが角地で、なかなか目立つ存在です。

ドスパラ支店
道を横断して元日通ビルの向こう側へ回り込み、末広町方向へ延びる路地を行くと左手にドスパラ本店があります。古くからあるPC店ですが、店名は「ドスブイ・パラダイス」ではなかったでしょうか?昔の事で忘れましたが、この種の店では草分け的存在です。此処で店員と難しい話を互角に話し合えれば、かなりのDOSツーだと自負するPCマニアも多かったようですが・・・今はどうなのか?マックユーザの私には知るよしもありません。

ドスパラ本店
その先にポツンとあるTUKUMOのPC中古専門店。周囲が暗いだけにかなり目立った存在です。「TSUKUMO」って確か「九十九」と書いたはず?昔はアマチュア無線の店も持っていて結構繁盛していた時代がありましたが、だいぶ前に撤退しPC店に衣替えしたと思います。

TUKUMOのPC中古店
中央通りが見える路地の右手は角田ソフマップ、老舗の角田無線も家電やパソコン、アマチュア無線など手広く商っていたが、事業を整理し、最近はソフマップと手を組んでいるようです。その先がソフマップのマック専門店「Mac Collection」、左手もソフマップで、こちらはファミコンやプレステなどの店。

真正面に見えるのは、中央通りの向こう側にあるドンキホーテ、アキバでは異業種の代表格。ここも老舗の某家電店だったが、だいぶ前に廃業、一時はT ZONEがPC店としてソフマップと列ぶ店舗規模を誇ったが、これも数年で撤退し、今は路地裏にPC DIYショップとして店を構えています。

右手は角田ソフマップ、正面はドンキホーテ
中央通りにあるドンキホーテ
T ZONEのPC DIYショップ
最後に、中央通りに出て東京メトロの末広町駅へ向かう途中、いつも若者が群がっている店がメッセサンオー。ファミコンやプレステのことなら、まず此処へ行くと良い。昔は間口二間ほどの小さな店だったが今は堂々たる貫禄のある店にまでなっています。

ファミコンやプレステのことならメッセサンオー
コミックやフィギュアーなどには全く興味がありませんが、たまたま等身大のグレートマジンガーと出会いワンショットしておきました。末広町駅に近く、この辺はアキバエリアのはずれ、最近になって地上げをくらいこの店の隣に大きなビルでも出来そうな気配です。

等身大のグレートマジンガー
たしか、昔は小さな家が列んでいたところですが、土地の再開発でしょうか、アキバエリアが日に日に膨らんでいることを実感します。

薄暮の秋葉原を駆け足で回ってきました その1

週明けの秋葉原へ所用があり行ってきました。秋葉原駅のホームへ降り立った時には既に午後五時少し前、相変わらずの梅雨空で薄暮に近い雰囲気を感じました。

先頭車両から降りて車両が上野駅方向は走り去ると、一番線ホームの向こう側にこの春から新設された大きな広告パネルがアキバの繁華街方向の視界を遮るように建っています。どれも夏バージョンに衣替えしていて、内容はともあれ、その鮮やかさが目に付きます。

一番線ホームの大きな広告パネル
反対側、東口方向には、開店して未だ一年に満たないヨドバシマルティメディア館が大きく見えます。
今までの秋葉原では考えられなかったような大きな建物で、大型デパート並の規模でアキバの人の流れが大きく変わったことは事実です。家電店ですが、取り分けデジタル家電に力を入れていて土日の混雑は大変な物です。

ヨドバシマルティメディア館
ホームから下へ通じる階段を下りて西口自動改札機の手前十メートルもないところに大きな広告があります。それも足下に三メートル四方くらいの色鮮やかな物です。場所が場所だけに一日何万回も踏み付けられているはずなのに、取り分け損傷もなく色鮮やかさを保っていて驚きです。

西口自動改札機の手前にある広告
西口券売機前の広場は相変わらずの雑踏で、「今だけのタイムセール・・」って毎度毎度叫んでいる男、インターネット回線を勧誘する濡れ落ち葉的にシッコク付きまとう女、チラシを差し出す仕草が可愛いメード姿の少女、絵はがきを配りながら何処か別の場所へ誘うヤバそうな女・・・どれも「ノーサンキュー」でやり過ご過ごします。

面白いのは、彼らの立ち位置が決まっていて?秋葉原デパートの敷地と歩道の境界に沿っていることです。それ故、このライン近くを歩かなければニアミスもないでしょう。

西口券売機前広場
駅前広場を通り抜けた人の流れは中央通りに出てJR総武線のガード下にある歩道を渡り向こう側へ続きます。最近、向こうの角に大人のオモチャ的なケバイ店が引っ越してきました。たしか、前は万世橋警察署の斜め前にあったはずですが?・・・結構賑わっているようにもみえます。

総武線ガード下の横断報道
総武線の高架を左に見上げるようにして進むと右手に東京ラジオデパートがあります。
真空管ラジオやアンプを製作したい人はまず最初に此処へ行くと良いでしょう・・・一通りの物は揃うはず。地下一階から上は三階まであり、狭くてゴミゴミしているが三十年前四十年前のアキバを知っている元ラジオ少年には違和感が無いはずです。

東京ラジオデパート
今日は、ここには寄らずにその先にあるアマチュア無線の店ロケットへ行くのが目的でした。アマチュア無線も十年前をピークに減少の一途で、昔は沢山あったアマチュア無線の店も今は三軒だけが残り、このロケットは一番大きな店です。
ここで、あるメーカのある製品の価格と在庫を聞くことが今日の主たる目的で、あとは展示してあるその製品のある機能について自ら確かめてみることでした。

アマチュア無線店 ロケット
つづく

2006年7月24日月曜日

「X-TRAIL CUP 2006 in お台場」で賑わっていた海浜公園

どんよりとした曇り空で湿気の多い日曜日、それでも梅雨の止み間か?雨の心配もなさそうなのでお台場海浜公園へ行って来ました。
以前から私の定番の散歩コースのヒトツで、このところ天気がハッキリしないので敬遠していましたが、久々、レインボウブリッジを渡りお台場の砂浜へ降り立ってみました。

レインボウブリッジから浜辺へ下りたところは、海浜公園の一番奥になり普段からあまり人影が無くとても静かな雰囲気です。しかし、今日は対岸にあたるお台場の繁華街?デックス前の浜辺はカラフルなテントが沢山列んでいてマリンスポーツのイベントをやっているのが遠目に見えていました。


普段の土日も賑わう浜辺ですが、今日はイベントの関係者も含め大勢のギャラリーが詰めかけているようです。遠くからでも、ワタシ的には好きになれそうにないリズムのBGMをバックに、DJが巧みな語りで雰囲気を盛り上げているのが潮風に乗って良く聞こえて来ました。



そちらの方へは近寄りがたく、ずーっと手前の浜辺近くの遊歩道にあるベンチに腰を下ろし、久々ながら海抜ゼロメートルに近いところからアマチュア無線をやってみました。

430メガ帯のFMトランシーバーの周波数ダイアルを回してみると、幾つかの交信が行われているのが分かりました。どの局も長話のようで、それを待っているのも辛くなり、コールするのを諦めて、自らCQ(相手を特定しない呼び出し)を出してみました。

普段は滅多にCQを出すことはありません。
私の場合は、少しでも遠くの局と交信したいと常々思っていますから、既に交信中の局が自分のQTH(住所)を言うのを確認し、彼我の距離が極力遠い相手を選んでコールすることにしています。

ただし、自らCQを出した場合にはこの限りではありません。
遠い局から応答されることも、近くの局に応答されることもあります。と言うか、首都圏においては、アマチュア無線人口も過密で、都内の局に応答される確率は高い訳です。

今日は、メインチャンネルではなく、サブチャンネルでの数回のCQに対し応答がありました。
都内杉並区のJM1SMMに応答されたのですが、電波状態が安定せず交信内容の確認に手間取りました。この交信のすぐ後で東大和市のJA1VUからコールされ、初めはローカル局かと思うほど、その信号強度の強いのに驚きました。私もアマチュア無線歴は長い方と自分では思っていますが、その私より更に十年以上長いキャリヤーを持つ大先輩で、コトバを選んでの交信となり少々緊張しました。

J*1*M* 東京都杉並区 FM 433.040MHz His 55 My 52
JA1*U* 東京都東大和市 FM 433.040MHz His 59 My 51

■交信には免許を受けた430メガ帯のFMトランシーバー(最高出力5W)を使用しています。

Kenwood UHF Transciever TH-F7

今日は、充電をせずに外出したため、相手局から信号強度がドンドン下がっているとレポートがあり、早々に交信を打ちきりました。

交信時間が長くなると発熱量も多くなり、握っている本体がかなり熱くなっているのが分かります。しかも、ディスプレイ部分を被う透明アクリル板の内側に細かな水滴が広がり曇っているのが分かりました。
この結露で回路がショート状態になってはまずいと慌てるようにして電源をoffしてしまいました。五年間ほどこのトランシーバーを使っていますが初めての経験、梅雨時とは言え信じ難い症状です。しかし、小一時間ほどでそれも見えなくなりひとまず安堵しました。

X-TRAIL CUP 2006 in お台場

2006年7月22日土曜日

日本標準時JJYを発信している元郵政省電波研究所の一般公開

日本標準時JJYを発信している東京小金井市の(電波研と呼んだ方が私達の世代には馴染みがある情報通信研究機構(NICT)の施設一般公開があり数年ぶりに行ってきました。



生憎の雨でしたが、東京駅始発の特別快速で四十五分、JR中央線の武蔵小金井駅で下車、駅前から京王バスで十分ほどで情報通信研究機構前(NICT)に着きました。たしか、数年前に行った時は施設名が通信総合研究所(CRL)だったはず・・・


今日から夏休みが始まったこともあり、背広姿より母子の姿が多くみられ施設公開の意義を玄関口で早くも垣間見たような気がしました。



受付では施設公開の案内パンフレットと毎回恒例のNICT特製のウチワが配られます。



一番先のデモンストレーションは、毎度お馴染みの「地球の自転を実感できるフーコーの振り子」、研究本館の最上階の天井から吊り下げられた直径30cmほどのUFO型の重りが振幅にして1mほどでユックリと振れています。時間の経過と共に床にある目盛板の位置が振り子の振動方向からズレていくことで、地球が自転していることを実証していました。

2号館では、何と言ってもここの目玉になる日本標準時の元になる原子時計が鎮座しています。たくさんの電子測定器に囲まれているサマを小さな窓のガラス越し覗き込んでも、そんなに凄い物なのか実感が湧きませんでした。


5号館で、特に興味を持ったのが、暗号の仕組みでした。小学生相手に、円筒に意味不明の文字列を書いたテープを斜めに巻き付け円筒上で一直線に意味ある文字列が判読できる、遊び感覚の解読ゲームをしていました。テープを斜めに巻き付ける角度を工夫することが解読の「鍵」になるようで、小学生にウケていました。



4号館では、「タイタニックが打ったSOSの再現版」としての電文を、モールスコードにしてヘッドフォンで聴かせていて、小学生に混じって私も参加させてもらいました。

「CQD CQD CQD DE MGY 41.46N 50.14W SINKING WANTS IMMEDIATE ASSISTANCE」とヘッドフォンから聴き取れました。小学生は用意された電文とモールス符号を点と棒線の組み合わせた図表を見ながら聴き入っていました。なお、当時の遭難信号は「SOS」ではなく「CQD」だったそうです。また「MGY」はタイタニックの無線局のコールサインです。

正直言ってブザー音の様なザーザー音の断続に、係の人に聞きづらいと言ったら、当時の火花送信機の受信音に似せてアレンジしたとのこと・・・芸が細かく納得しました。

その横には、モールス電信の符号印字機がありました。
小学生が係の人から自分の名前を、紙に点と棒線の組み合わせで書いてもらい、その通りに電鍵(キー)を叩きます。すると、叩いた通りに符号印字機が点と棒線を印字します。1cm幅の紙テープに印字された点と棒線の組み合わせを手元の原稿と見比べて、係の人から「上手だね・・・」などと、ほめられていました。


私も、四十数年前、正に同じ物を使ったことがあり非常に懐かしく、無理を言って小学生の列の後に付き、電鍵(キー)を叩かせてもらいました。
逓信総合博物館からの借用品とパネルにあり、ヘッドフォンを耳に当て「テ イ シ ン ハ ク ブ ツ カ ン ・ ・ ・」と、ユックリと打ったら、係の人が隣の人に「和文みたい・・・わからない・・・」と小声で言うのが聞こえました。単文でしたが、たくさんの小学生のギャラリーに囲まれ少々照れくさい物を感じました。しかし、印字された結果を見て我ながらマズマズの出来に安堵しました。

その後、反対側の壁際にアマチュア無線局が開局していて、そこにも立ち寄りました。オペレータが独りぽつんとしていたので、声をかけてみました。JL1のコールの持ち主で二十年くらい前に開局とか言っていました。ここNICTのクラブ局はアクティブでなく一般公開日くらいしか電波を出していないとか・・・苦笑していました。彼とは、来月、東京ビッグサイトであるハムフェアでの再会を約して別れました。


5号館では、小学生を対象にLANケーブルを作る工作教室が開設され、たくさんの児童が慣れない手つきで工具を使い作業しているのが印象的でした。また、IPコントロールカーがミニサーキットを走り回っていて、幼児を含め大勢のギャラリーを集めていました。


閉館時間が迫り、道を隔てた向こう側にある6号館へ回りました。
電波の反射波で撮った航空写真を展示したブースがありました。東京江東区から西方向の八王子市あたりまでの、大きく引き延ばされた撮影パネルに、皆さん一様に自分の家を探していました。


9GHzの電波を使用してその反射波に含まれる地勢データを解析し、地図データを作成するようです。カメラによる航空写真とは違い、雲や雨などに影響されることなく、夜間でもデータの収集が可能と説明がありました。今はカーナビなどの元データとして利用価値はとても高くなっているようです。

今日は二時過ぎに到着して四時までの公開時間一杯にアチコチと走り回りましたが、時間切れで見られなかった公開物もあり心残りもありました。




帰り際に正面の建物を見上げると、現在時刻がデジタル表示されていて、さすがJJYのお膝元と感心しました。


2006年7月19日水曜日

ラジオの居場所が無くなって久しい

先日、実家へ行った折りに、偶然、五球スーパーラジオを見付けました。
いつ頃までこれで聴いていたのか?
中波/短波 二バンド 五球スーパーラジオ
白黒テレビが自宅に来た時までは我が家の唯一の情報端末だったはず・・・、「夢であいましょう」や「若い季節」「シャボン玉ホリデー」「てなもんや三度笠」「ララミー牧場」「コンバット」「日本横断」「事件記者」「ジェスチャー」などなど、欠かさず視ていた頃は昭和三十年代だったから、四十年以上前に茶の間から姿を消したことになります。

現在ではラジオを生産するメーカは片手で数えられるほど、その用途も通勤時のオジさん達の情報端末が圧倒的で、その次が災害時に備えての情報収集アイテムと相場が決まっているようです。

もはや茶の間の主役には戻れないラジオですが、「五球スーパーラジオ」と言う言葉自体が、現世では死語に近いと思われます。しかし、今は「トランジスタ ラジオ」とも呼ばれないのでは・・・

左はアンテナ線、右はACコード
裏蓋を外して確認すると、

SANYO RADIO SE-20
真空管 12BE6, 12BD6, 12AV6, 30A5, 35W4
スピーカ Sanyo P-4D 2W
受信範囲 540kc〜1650kc 3.7Mc〜12Mc

今さら五球スーパーラジオで放送を聴くこともないでしょうが、偶然のニアミスに早速ですがACコードをコンセントに差し込み電源をonしてみました。

暫く待っても音無の状態、裏側から透かしてみると真空管が点灯していない・・・「ダメだな」と思いつつoffしました。トランスレス方式で部品点数もそれほど多くないので、点検も容易で・・・いずれ、テスター片手に取りあえず通電テストをして復活の為の努力をしてみたいと思っています。



コメント(アーカイブ)

5級スーパーが出てきましたね。この当時のトランスレスはヒーターを全て 直列にして100vにしていましたので、1本が断線 すると全て点燈しなくなります。 私は自作の5級スーパーを使っていますが、昔懐かしい音が出てきます。ラジカセの音とは全く違います、修理して音を聴き、感想を聞かせて下さい。 都内散策レポートは、暑い中ご苦労様が感想です。
Posted by  T.A. at 2006.7.20 19:57:09
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真空管のストックは100本以上あるはずですが、MT管でトランスレス用の球は殆ど含まれていないはず?、ヒータの断線だと対処が難しいかも知れません。
秋葉原を回れば、マダマダ真空管専門店も数軒あるので入手は困難ではありませんが、当時はポピュラーな球でしたが、今は高額になっているでしょう
NGな球が何本あるかにもよって復活させるか?判断することになりそうですが、真空管による音を聴いてみたいとは思っています。
Posted by  BlueMac at 2006.7.20 20:12:59
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2006年7月17日月曜日

半蔵門から桜田門、和田倉門そして馬場先門まで

午後三時頃、東京メトロの半蔵門駅で下車。半蔵門に近い出口を確かめて長い地下通路を通り地上へ出ました。ルート246沿いに麹町警察署前を通り半蔵門の交差点まで歩くと、右側にWacoalビルとTFM(TOKYO FM)ビルがあり、真正面に皇居西側の出入口にあたる半蔵門が見えます。
余談ですが、「半蔵門」の名の由来は将軍家に仕えた忍者服部半蔵の屋敷があったからと言われています。

麹町警察署前に建つ女性御用達のWacoalビル
半蔵門交差点に建つTFM(TOKYO FM)とWacoal
半蔵門(門の奥は吹上大宮御所)
交差点を渡ると歩道の向こうは急斜面で下の方に桜田堀が見え、ここがかなり高台にあることが分かります。左へ行くと千鳥が淵から九段下、右に行くと緩やかなカーブの下り坂で桜田門から日比谷へ通じている三宅坂、ここからは霞ヶ関や有楽町のビル群が遠望できます。

眼下に桜田濠、遠くは桜田門方向
三宅坂途中にある最高裁判所
こんなに空が大きく見えるところは電波も遠くへ届くのではないかと、三宅坂を少し下った、国立劇場と最高裁判所が間近に見えるあたりで立ち止まり、携えていたアマチュア無線用の430FMのトランシーバーでワッチしてみました。

日曜日とはいえ、夕方のそろそろ交信相手もいなくなる時間帯、周波数ダイアルを回すと、微かに交信が聞こえるチャンネルがある位で相手が見つからないでいました。

ややあって、メインチャンネルにJK1MLY/1が出てきてサブチャンネルが指定され、直ぐに周波数を切り替えコールしたのですが他の局に取られてしまいました。

日野市の局で多摩川の河川敷に移動して交信しているとのこと、距離的に届かないはずがないと思いつつトランシーバーの設定を確認すると0.5Wになっていました。

直ぐに5Wに切り替え、交信の終わるのを待ってコールしてみました。今度は一発で応答がありまずまずと安堵しました。河川敷の様なところも周囲が開けていると電波の飛びも良いようです。

この交信の一分後に市川市のJA1CRAがCQを出していて、これに応答したところ、他の局がコールしなかったのか、直ぐに私のコールサインが聞こえました。26エレのスタックアンテナを使っている様で強力に入感していました。

三宅坂を下りて道が平坦になったところが桜田門の交差点、右側に警視庁の建物が建っています。

桜田門前に建つ警視庁の建物
桜田門(幕末、桜田門外の変のあったところ)
桜田門を抜けると二重橋前へ通じる広場へ出ます。
以前は大きな玉石が敷き詰められてとても歩き難かったのですが、最近は小粒の物になり、しかも、今年の春頃に幅三メートルほどのコンクリート製の通路が出来てとても歩きやすくなりました。

皇居前広場へ続く砂利道、遠方は大手町
二重橋
二重橋を横に見ながら広場を横断して和田倉門から馬場先門まで歩き、そろそろ地下鉄の駅が近くなり、トランシーバーをバッグに入れる前に、周波数ダイアルを回すと三郷市のJA1AYWが交信していました。

頃合いを見計らってコールすると直ぐに応答してきました。聞き覚えのあるコールサインでしたが、「二度目ですね・・・」と答えてきました。最近は交信データをパソコンで管理している局も多く、過去のデータを瞬時に調べて応答してきます。昨年の七月三十一日に交信しているようで、一年ぶりの交信でした。

J*1*LY/1 東京都日野市移動 FM 433.220MHz His 59 My 51
J*1**A 千葉県市川市 FM 433.240MHz His 59 My 53
J*1*Y* 埼玉県三郷市 FM 432.880MHz His 59 My 55

■交信には免許を受けた430メガ帯のFMトランシーバー(最高出力5W)を使用しています。

Kenwood UHF Transciever TH-F7

この他に、埼玉県の堂平山から移動運用をしている局がありましたが、次々にコールする局を手際よく短時間で捌く術を身に付けていないようで、交信の順番を待たされている局はストレスが溜まりました。

多くの局からコールされて喜んでいるのでしょうが、この様な場合は、信号レポートとQSLカードの確認のみでOKなんですが・・・毎度毎度、自己紹介とか、移動地の説明とか、リグのこととか、余計なお喋りが多くて、待機している局はそれを五回も十回も聞いている訳で全くウンザリしています。そんなこと五局に一回くらいにアナウスすれば十分でしょう・・・もう少しDXペディの局のやり方を勉強して欲しいと思いました。

昔は国家試験も難しくて、SWLを一年も二年もして先輩達のやり方を勉強してから自分でリグを製作して開局しました。それが最近は免許の取得も簡単で、出来合いの無線機を買い、どんな風に交信するのかも全く分からず自己流が多く、それをまた新人が真似をして、また次の新人が真似をする、奇異なことや間違いも次々と継承され、何となく正当化されて行くようです。
最近、一番嫌なコトバは、「コピーしました・・・」、「分かりました」と解釈するようですが、プロもアマも通信用語としては「了解しました」です。勿論、これは第三者の方でも少々固いコトバですが通じます。
その他に、「カンジカイシャクワ タンボノタニ マンナカノナカ デス」なんて聞き取れる、不可解な名前の紹介(この場合は田中ですが)もありますが・・・
皇居前広場に多い黒松
日も暮れかかり、馬場先門近くの都営地下鉄大手町駅から乗車して帰宅しました。